特集

アイドルフィロソフィー
~Kaede(Negicco)~

TOKYO IDOLが注目するアイドルとともに”理想のアイドル”について考え、様々な角度からアイドルの条件やアイドルのあり方などを探る特集企画「アイドルフィロソフィー」。
今回は、いまやローカルアイドルの代表格となった新潟のNegiccoが登場。2003年の結成から、2014年に「光のシュプール」がオリコンウィークリー5位を獲得するまで、実に11年。しかし、Negiccoは常に恵まれた環境にいたとは言い難い。彼女たちを支え続けた、アイドルとしての「フィロソフィー」とは何だったのだろうか? 今回はNegiccoのkaedeに話を聞いた。

Interview・Text:宗像明将 / Photo:ayaka horiuchi

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Kaedeさんが考える「アイドル」とは何かを教えてください。

Kaede アイドルとは……!? 面白いなと思います。アイドルは基本的には歌とダンスが多いと思うんですけど、形態や見せ方がすごく多様で、アイドルイベントじゃないイベントに出る機会もあるし、音楽として面白いジャンルだなと思います。

初めて憧れたアイドルは誰ですか?

Kaede モーニング娘。さんです。小学校の3年生か4年生のとき。アイドルはそんなに知らなかったし、音楽にも興味がなかったんですけど、「LOVEマシーン」が売れたときに「楽しい曲だな、アイドルってキラキラしてるな」って思いました。いとこと一緒に芸能スクールに入って、親戚の結婚式で歌ったり踊ったりしていました。

芸能スクールに入ったのはアイドルに憧れて?

Kaede 全然興味はなかったです。幼稚園からピアノと英語、小学校から水泳をやっていたんですけど、そういう習い事の延長みたいな感じでなんとなくしていました。

それが12年もアイドルをやってオリコンのベスト10に入ることになるとは……。

Kaede まったく思わなかったです(笑)、幸せです。この道に進むとは思ってなくて、小さい頃から「いい高校に入って、いい大学に入って、いい会社に勤めて」という人生を歩むものだと思ってたんですけど、いざ大学を出てみたらこういう形になりました。

親御さんは、高校から大学に行くときにNegiccoについて「辞めろ」とは言わなかったんですか?

Kaede 大学は富山大学の薬学部に行きたくて、「このまま活動は続けられないので辞めます」と私から言いました。でも、「ヌキ天(『勝ち抜き!アイドル天国!!ヌキ天』)のオーディションの話が来てるから、受けてから考えてくれない?」と言われて、「受けてから考えればいいかな」とヌキ天を受けて、合格させていただいてNegiccoを継続することになったんです。でも、ヌキ天の3週目か4週目で、どこを受験するか決めないといけなくて。ヌキ天は4週目で受からないと終わりの番組だったんですけど、ブラザートムさんが引き止めてくださって、もう一度チャレンジさせてもらえる状況で、「もしかしたら行けるんじゃないか?」と思ったんです。「でも大学どうしようかな?」と思ったときに、新潟大学には薬学部がないし、私立大学には行くお金もなかったんですけど、高校の先生に「だったら新潟大学の化学で似てることをしているから受けてみない? 推薦ならすぐ決まるよ」と言われて、あっさり11月に決まりました(笑)。

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大学に入ってからは活動に迷いはありませんでしたか?

Kaede 大学では、3年生の後半までは「どうしようかな」と迷ってました。就職活動が始まるまでは。

その迷いを振りきったのは何でしたか?

Kaede 「自分が大学で学んだことをいかせる会社に入るのはちょっと違うな、楽しいけど仕事には合わないな」と大学に3年間通って思っていたので、「今やりたいことは音楽だな」って思いました。

2003年の結成以来、12年の活動を振り返って、Negiccoとはどんなアイドルだと思いますか?

Kaede 負けず嫌いというか、諦めない気持ちが3人ともすごく強かったです。めちゃめちゃネガティヴなんですけど、そこからの立ち上がりはメンバー同士の支え合いもあるし、メンバーそれぞれの力もあるし。根はすごくネガティヴだと思うんですけど、ネガティヴではやっていけないという気持ちもあって。悔しい思いもさんざんしてきているので、成功しなければ見返せないし。「ライバルいますか?」とよく聞かれるんですけど、あんまり周りを見ている余裕がありませんでした(笑)。

Negiccoは何度も苦難を乗り越えてきました。その中でも最大のものは何でしたか?

Kaede 最初の頃は、名前も面白いし、「ちょっと見てみようかな」ってライヴに来てくださって、ファンがついて自信を持てる時期があってんです。だけど、アイドルっぽい衣装もやめて、かっこいい方向に振った時期に、あからさまに人が減ったんですよ。ライヴハウスに20人とか。Negiccoに興味を持ってくれる人たちが減って、「これからどうなるんだろう」と不安になる時期がありました。2004年か2005年のことです。

それでも続けられたのはなぜでしょうか?

Kaede ファンの方の出入りはあるんですけど、固定で来てくださっている新潟の方が多くて、20人、30人はいて。支えてくださっている方がゼロではないという自信もあって、ひとりでもいてくださる間はがんばらないといけないと思いました。

逆に一番嬉しかったことは?

Kaede 代官山UNIT(2014年10月31日、11月1日)で500のキャパを埋められるのかすっごく不安だったけれど、ソールドアウトできて、ワンマンライヴのステージで今まで見たこともない光景を見られたときです。ネギライトがたくさんで嬉しかったですね。そこからドッとお客さんが増えた印象があります。

Negiccoの12年の物語に共感する人も多いです。「MUSIC JAPAN」でのPerfumeとの再会も話題を呼びました。そうした楽しみ方、受け止め方についてはどう思われますか?

Kaede 嫌だなという気持ちもないし、10年諦めないでやってきたことを評価してくれるのは嬉しいです。短い年数で成功している方もたくさんいるけど、私たちには必要な年数だったと思うし、これはこれで私たちの進み方なんだと思います。いろんな方に「12年目です」と言うと驚かれるんですけど(笑)。

「新潟のNegicco」というローカルアイドルの枠組みと東京での活動のバランスはどう取ってきましたか?

Kaede 今の状況になることを想像できてなかったので、最初の頃は東京でライヴできるとすごく喜んでました。今の状況のありがたみがわかるのはその頃があるからですし、全国ツアーも回れているのは幸せな環境だなと思います。

それはNegiccoが新潟のグループだという認識だからでしょうか?

Kaede 新潟を飛び出して活動することは想像できなくて、基本は「新潟のグループ」だったし、全国でCDを売ってもらえることも想像してなかったです。ほかのふたりは東京に出たい気持ちが強かったけど、私は学業を犠牲にしてまで東京に出たいという気持ちにはなりませんでした。

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大学を出てNegiccoの道を選んだとき、覚悟はありましたか?

Kaede もちろん不安な気持ちはすごくありましたけど、「このまま就活して就職したら後悔するだろうな」という気持ちがありました。そこは自分の気持ちを信じようと。親のお金で学校に行っているのに、「大学まで行かせたのにアイドルなの?」って思われてるだろうなと考えたし、母親にも実際そう言われて、父親にも言われると思ったんです。高校や大学に入るときも「いつ辞めるんだ?」とずっと言っていたのは父だったんです。でも、就活の時期に「あいつのやりたいようにやらせてやればいいんじゃないか」と父が言っていたと母から聞いて、決心したんです。そうやって評価してくれるのは、今の活動を見てくれていたんだなと思いました。やりたいことを仕事としてやれたらそれ以上幸せなことはないし、突き詰めたいなと思いました。

今後Negiccoのメンバーとして目指すアイドル像はどんなものですか?

Kaede 12年という時点で珍しいというか、面白いグループになってきてるなと思います(笑)。RAM RIDERさんが10周年に「Negiccoから君へ」を作ってくださって、「ここからまた10年経っても」という歌詞を歌ったときは「いや冗談でしょ?」と思った部分も正直あったんですけど、今はあと8年だし、20周年を迎えられるんじゃないかなと思ってます。どんどん大きい会場にも挑戦できてるし、いろんな方がCDを手に取ってくださってるし、長く続けられるようなグループになりたいなと思います。

Kaedeさんは新潟薬科大学の特定研究員に任命されましたが、今後どんな活動をしていきたいですか?

Kaede 今は具体的には決まってないんですけど、生徒さんとも協力して何かできたらいいなと思います。薬学部に入りたかったのですごく嬉しいです。学長さんも「好きなときに来ていいよ」と言ってくださって、勉強したい気持ちもあるので話を聞きに行きたいですね。Negicooを第一優先にしながら、自分の教養として学びたいなと思います。

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